あるお母さんの話である。
入学して間もない我が子が、ランドセルを空っぽにして帰ってくることに気が付いた。
筆箱と宿題のプリントが一枚あるだけ。
「教科書は?」「学校だよ。」
「どうしたの?」「先生ね、家で使わないから学校に置いていきなさいって。」
「明日の時間割は?」「教科書が全部学校に置いてあるんだから心配しなくていいって。」
「明日は何の勉強があるの?」「わかんない。先生言ったけど忘れた。」
「時間割の黒板に書いてないの?」「先生ね、いつも朝の会で書くよ」
「・・・・・・」
しばらく様子を見ていたが、一ヶ月たってもランドセルは空っぽだった。
担任の指導に不信感がわき、不信感はやがて怒りへとかわった。
〝先生は時間割を合わせる習慣についてどう考えているのだろうか。持ち物を自分で管理できるように指導してほしいものだ〟〝一年生だからといって毎日、何をするのかわからないまま登校させてよいのだろうか〟
他のお母さんに聞いても「あ~確かにそう言われれば」という方もいて、忙しい方には子どもの時間割に気を遣わなくても済み都合がよいといった様子である。そのお母さんは、自分が気にしすぎなのかなと考えてしまったそうだ。

この先生のねらいは何だったのだろうか。家で使うことのない教科書を持ち帰らせ重いランドセルを背負わせることはかわいそうと思ったのだろうか。(確かに、毎日教科書を持ち帰っても家庭で使うことなくまた学校へ持って行くことはしばしばある。昨今はタブレットも加わり、児童のランドセルは重くなる一方だ。)それならばノートや副教材だけは学校に置かせるなど、持ち帰りの量を調節させればよいのではないか。それともこの先生は、過去に保護者から「毎日重いランドセルを背負わせるとはどういうことですか!」とクレームを受けた経験がおありだったのかもしれない。

仮に、何らかの配慮で教科書を持ち帰らせなかったとしても、せめて明日の予定や時間割をノートに書かせることぐらいはさせたいものだ。「明日は漢字テストがある」と家で勉強する子や「今日は楽しみな図工がある!」と期待感をもって登校する子だっている。子どもが明日の準備をし、心構えをもって登校することは、子どもの力を十分に発揮させ、伸ばすために大切なことだ。
この先生は毎日帰りの会で口頭で伝えていたというが、「話を聞ける子に」とでも思ったのだろうか。5時間分の予定をメモなしで聞くことは大人でも難しい。聞く力は他で育てればよい。

結局この先生は、一年間この方法を変えなかったそうだ。どのような意図、効果をねらっていたのか、最後まで聞けないままであったという。
「鉄は熱いうちに打て」といい、子育てには、後になってからでは身につけられない事か゛ある。
明日の用意をする、明日の予定を確認する、など特別な教育ではない。このお母さんは、一般的に見れば常識的な視点に立っていらっしゃったと言ってよい。
こんな先生に、大事なお子さんの大事な一年間を任せていた保護者の心配はどれほどだったかと思う。