「こんなクレームを言ったら、先生も傷つくのではないか。」
「日頃、先生にはお世話になっているから、クレームで波風は立てたくない。」
「学校の先生との関係が崩れることが心配でクレームを言えない。」
「クレームを言って嫌な保護者と思われたくない。」
学校の先生を思いやりクレームを言うべきかどうか迷っているあなたは、「いい人」といえます。しかし、言いたいことを言わず、おかしいと思うことを主張せず、結果、ストレスを抱えてしまう方も多いと思います。
それは、対学校に限りません。保護者間、広く人間関係の全般でもよくあることです。人に心を配り、自己主張をせず、控えめに振る舞い、結果、疲れてしまったり悩みが深くなってしまったりする方は参考にしていただければと思います。
「良好な関係でいたい」ために、「相手を慮る、思いやる」ことは大切です。ところが、相手に合わせすぎて苦しくなる人や疲れてしまう人がいます。
一方で、「言いたいことを言う、嫌なことは嫌とはっきり主張する。」という人がいます。保護者間でも、ママ友同士でも、先生でも、遠慮なく物を言う人です。
そんな人は、周囲との人間関係が崩れ、トラブルばかり抱えているかといえば、案外そうでもない。人間関係がわりとうまくいっている人がいます。「わりとうまく」どころか、周囲から一目置かれたり、大事にされていたりする。
私からすれば「あの人は結構わがままなのに、なぜいつもたくさんの人が集まっているのだろう。」と見えてしまう。時には「私は相手に対して精一杯の心遣いをしているのに、なぜ、人から大切にされないんだろう。」とさえ思え、落ち込むことがあると思います。
ここに2つの「いい人」がいます。
1つ目は「相手に幸せを与えることを目的にしている」いい人です。
2つ目は「他者とよい関わりを築くことを大事にしている」いい人です。
あなたはどちらでしょうか。
こんなエピソードがあります。重い病を患って、余命宣告された方がいました。その方はアクリル画が上手な方でした。大きな賞を取るでもなく、地域で有名な画家だったわけでもありません。自分の趣味でコツコツと絵を描き続けてきただけの方です。
ある日、病院へ見舞いに来た方が「私もあなたのような絵を描けるようになりたい。是非あなたにアクリル画の書き方を私に教えてほしい」と話します。気力も体力もない、残された余命を自分のために使いたいと断りましたが、何度となく頼まれ、引き受けることにします。
1日に1つだけ。病室で「アクリル画レッスン」が始まりました。最初のうちは口頭の講義でした。聞く方は一生懸命にメモを取ります。「絵の具の混ぜ方」「水の使い方」、やがてその方は「構図も教えてほしい」とスケッチブックを持ち込みます。そうしているうちに「今日は絵の具を持ってきた。実際に筆でやってみせてほしい。」と頼まれるようになりました、ある時は「家で描いてみた。あなたに評価してほしい。」と、病室に絵を持ち込まれました。
そうこうしているうちに、教えている方も熱が入り、病室がまるでアトリエのような空間になったそうです。その方は、余命宣告された期間を大きく超えて「病床レッスン」は続き、余命宣告から3年いじょう生き続けたそうです。
こういった例を聞いた事がある方は多いと思います。(余命と関連があると証明はできませんが)人にいいことをすると自分も気持ちよくなるということは、近年の脳科学が証明しています。「人の脳は人の役に立つことに幸せを感じる」ということであり、相手に幸せを与える行為は、実は自らの幸せにもつながっているということです。
2つ目のいい人「他者とよい関わりを築くことを大事にしている」いい人がいます。
このような人は、社会性がある人と言えますが、逆に言えば、周囲から良く思われることに重きを置いている人とも言えます。
人はどうしても自分本位で自惚れていますから、他人からの評価(他者の目)を拠り所にしていくことは決して悪いことではありません。ある意味で「客観的に自分を見ていこう」と心がけている人でもあり、よい心がけです。そういう人は、「私を外から見ている人(他者)に、私はどう見えているか」を基準にしています。
しかし、実はこれはやや不安定な面を孕んでいます。
それは「人の気持ちは移ろいやすい」という点です。
私は教頭時代、ある校長から「清水教頭先生がいてくれて本校としてとても助かるよ」と言われていたのに、ある日のある出来事を境に急に校長から冷たく当たられた経験があります。それは、私(清水という人間)が急に変わったのではなく、単に「校長の都合や気分」で変わったに過ぎません。
また、こんな「いい人エピソード」もあります。
上司にも部下にも「いい人」がいました。上司に決して逆らったりせず、従順に誠実に仕えていました。また部下には寄り添い仕事をサポートし、残業にも付き合い、一生懸命に仕事に励んでいました。優秀で仕事も良くできる、だれもが認める「いい人」でした。
ところが、ある日「あいつは八方美人だ」「ごますり野郎だ」と陰口を言う者が出始めました。やがて部署内で同調する者が出始めました。いつしかそれが、上層部に伝わったのでしょう。次の部署での昇任も見送られることになったと言います。
それが本人の耳にも届いたのかはわかりませんが、その人は、ある日突然「もう疲れた」と仕事を辞めてしまいました。その人にしてみれば、今までと同じように仕事をしていただけで、急に何かを変えたというわけではありません。変わったのは、その人に対する周りの声なのです。
もしかしたらその人は「人からの評価」に臆病だったのかも知れません。周囲への気遣いは、その表れだったともいえます。それをある人は「いい人」と評価し、ある人は「八方美人、ごますり」と評価したのです。
このように、人の気持ちは移ろいやすく、コロコロと変わります。
もちろん私たちは、「人の目にいかに綺麗に映るか、立派に映るか」を常に気にしてしまいますし、他人の目を気にしてしまいます。社会的評価、世間体を目的に生きている生き物と言えるかも知れません。しかし、「相手にとっていい自分」を演じ、誰からも評価されたいと思う気持ちが過ぎると、いつしか、自分が何を大事にしているのか分からなくなってしまい、気付けば人の言動で右往左往してしまっている。
これでは疲れてしまうのも無理はありません。
話が広がりました。まとめます。
「こんなクレームを言ったら、先生も傷つくのではないか。」と思っているあなた。
「クレームを言って嫌な保護者と思われたくない。」と思っているあなた。
そして、私の拙いブログを最後まで読んでくださったあなた。
きっと相手を思う気持ちのある優しい方だと推察します。
そんなあなたは、先生への言い方、伝える言葉にも十分配慮できる人です。
我慢しないで、先生とコミュニケーションをとってみましょう。
相手への思いやり、優しさを忘れず、言葉を選び、必要ならば対面で、お話ししてみましょう。
言いたいことを丁寧に伝えれば、先生もきっと理解してくださるはずです。
そして、信頼できる保護者として見てくださるようになると思います。
(クレーマーと思われないか、ためらっているあなたへ。 終わり)