保護者が担任へクレームをしている姿を子どもに見せるべきではない。
理由は、子どものためにならないからである。
どんな正当な申し入れでも、経験からそう思う。

2つのエピソードがある。
教頭時代、佳奈さんという女の子のお母さんと懇談した。お母さんは外国出身の方だった。
「最近、佳奈が家で荒れている。私が何を言っても聞かない。」
たしかに佳奈さんは学校でも荒れ気味だった。

3年生までの佳奈さんは、とても伸び伸びしていて屈託のない、無邪気で子供らしい子だった。
「教頭先生!」
私が着任した時、全校で一番最初に私に話しかけてくれたのも佳奈さんだった。
そんな子が、3年生になり半年で変わってしまったのだ。

私は荒れている原因に気がついていた。4月から担任となったベテラン男性のK先生の指導である。詳しくは書かないが、大まかに言えばK先生の指導が厳しく、一つ一つ細かいのだ。
前担任のN先生は若い女性の先生で、優しく物静か方だった。決して大きな声で指導しない。いつも穏やかな口調で話されていた。N先生は子どもの思いを尊重される方だったので、悪い見方をすれば「子どもの言いなり」に見えたが、子どもたちはは伸び伸びと子どもらしかった。
後任のK先生は、子どもたちのできていないところに次々に手を入れ始めた。あれがダメ、これができていないと次から次に指摘し指導した。はじめのうちはK先生の勢いに押されおとなしく聞いていた子たちだが、やがて子どもたちは反抗の態度を取り始めた。そしてついに佳奈さんが爆発した。「もーヤダ」と鉛筆を放り投げたり、授業中に歩き回ったりした。

家でも不安定になっていたようで、困ったお母さんが学校に相談してこられたのだ。
「最近佳奈がおかしい。言うこと聞かないし、何を聞いてもちゃんと話してくれない。何に困っているかも話してくれない・・・・」

1時間ほど話を聞いた。
「私は日本語が十分ではなく言葉の壁があり、母として子どもとうまく話せていないかもしれないです。先生たちにはとても感謝しています。一人でたくさん見て、とても大変な仕事。子どもたちのことをよく見てくださっていて、うちの子をもっと見てほしいとは言えない。厳しいことも親は言えない時があるけど、大事なことをいってくださっている。本当に感謝している。」
そして最後にこうおっしゃった。
「私が学校に来て教頭先生と話していることを、子どもに知られたくない。」
それを聞いて私は察した。
やはりお母さんは、担任のK先生の指導に不満を持っていらっしゃったのだ。
しかしお母さんは、その事を娘に知られないように配慮され、こっそり帰って行かれた。

もう1つのエピソードは学年主任時代のことである。

新卒女性の先生のクラスに、絵里さんとい女の子がいた。経緯の詳細は書かないが、教室での先生の指導について、絵里さんは家に帰って「先生が、友達Aさんの悪口を言った」と泣いて話したらしい。絵里さんが誤解したのか、先生の言い方が悪かったのかはわからないが、話を聞いたお母さんが怒って、絵里さんを連れて学校に見えたのだ。
学年主任として同席し、二人で話を伺った。
話の席には絵里さんもいた。
お母さんは「娘とAさんは幼なじみの友達で仲もよい。Aさんを悪く言う先生の言葉に娘は傷ついている」とおしゃった。担任の先生は誠意をもって子どもに話したつもりだったようで、細かく丁寧に繰り返し説明をされた。子どもたちに話すようにお母さんに伝えていた。隣で聞いていたが、繰り返す話にブレはなかった。日頃から先生の指導ぶりを見て、その人柄も感じていた私は、理解していただけるだろうと思っていた。
ところが、なかなか理解していただけなかった。
「先生がどうおっしゃったかは、もう確かめようがないです。ただ、確かに娘は先生の言った言葉で傷ついているんです。」
30分ほど懇談したが話は一向に進展しなかった。担任の先生は「私の言葉が足りなかったのであれば取り返しようがないし、絵里さんは現に傷ついているので本当に申し訳ないです。お詫びします。」
先生は、絵里さんに一言添え頭を下げて謝った。
翌年、私とその先生の2人で学年を持ち上げたが、先生からは「絵里さんが私の話に目を向けて聞いてくれない。」「授業中に手を上げてくれない」「私の話に笑ってくれない」と聞くことが最後まで続いた。

経営の神様と呼ばれ、パナソニックを一代で世界的企業へと導いた松下幸之助は、「学ぶ気さえあれば万物はすべてこれ我が師である」と述べている。学習者にとって大切なことは「本気で学びたい」と心から思うことだ。そして、それさえあれば、人は誰からでも学ぶことができる。(松下幸之助は中学校にさえ行っていない)

大切なのは「学ぶ気」であり、「この人から学びたい」という気持ちさえあれば、どこでも誰からでも、学ぶことはできる。保護者が担任の先生に申し入れをすることは、何ら妨げるものではないが、そのことが子どもに知れる事には注意を払いたい。子どもに「俺の先生はダメな先生だ。」という気持ちを芽生えさせてしまっては取り返しがつかなくなるからだ。担任への申し入れによって、子どもの心にある「この先生から学ぼう」という学ぶ気持ちを削いでしまっては、我が子のためを思っての申し入れが、結果的に子どものためにならなくなる。

どんなに若い先生でも誠意を持って指導している。
それが拙い言葉であっても、未熟であったとしても、子どもの「心の器」がその先生に向いていれば、先生の言葉が、少しまた少しと子どもの心の器に溜まり、成長していくはずである。
先生への申し入れは、未熟な先生を成長させる。いけないところはいけないと指摘していただいて構わない。しかし、その後の先生と子どもの関係には十分配慮したい。保護者がクレームを言っている姿を子どもには見せないであげてほしい。

念のため付け加えるならば、家庭でも保護者は子どもが聞いているところで「ダメな先生ね」という態度を見せるのも注意したい。(むしろ子どもの前では「いい先生で幸せだなあ」と言っていただくことが、子どものためであり、若い先生を育てることにもなると思う。)
それでも申し入れたいことは、遠慮なく「こっそりと」申し入れていただければ、教師としてもありがたい。

※本文中の名前はすべて仮名です。(クレームの姿を子どもに見せない 終)