「私には教師の資格がない」
この思いを抱えながら、教師を務めてきた。

新卒で担任したあるクラスでの出来事だ。

クラスに由美さんという女の子がいた。明るくいつも元気。声が大きく人におせっかいをやく子だった。家庭的なこともあり服がいつも古く、お風呂に入らない事もあり髪も乱れ気味だった。優しい子だったが人との距離感が上手でなく、相手の気持ちを考えずにベタベタと接近したり、場の雰囲気を考えずに遊びの輪にグイグイと入ってしまうタイプの子だった。
親切な子で、困っている子を見つけるとすぐにそばによって声をかけていた。
正義感も強く、ダメなことには声を大きくして注意する子だった。高学年になるとやや疎まれてしまうタイプの子だった。

由美さんの周りでは時々トラブルが起こり、男子や女子の輪から外されてしまうことがあった。そんな時、由美さんは泣いて、担任である私のところへ訴えてきた。仲裁に入り仲直りをするが、その後もトラブルは時々起こった。

高学年の女子だから、せめて身ぎれいにしてくればよいのだが、家庭の経済状況からも、「毎日お風呂に入ってください」「もう少しき清潔な服装で・・」とは、とても言えなかった。若かった私は、由美さんのことを「悪い子ではないし、子どもらしい子だけれど、正直、面倒な子だなあ。」と思っていた。

それは1学期末のお楽しみ会の日の朝だった。

由美さんが、お菓子の空き箱を抱え、嬉しそうに私のところへやってきた。
「あのね先生、私今日ね、みんなのために家でドーナツを作ってきたの。昨日、小麦粉で作ったんだよ。お楽しみ会まで内緒だけど、先生にだけ見せてあげるね。」そう言うと、箱のふたをそっと開けた。
中には「ドーナツ」が入っていた。 

それを見た私は「これは困った」と思った。

箱の中のドーナツは古い新聞紙の上に油まみれで並んでいた。古い天ぷら油で揚げたのだろうか、黒ずんでいるものもあり、油の匂いが漂ってきた。お世辞にもおいしそうには見えなかった。


お楽しみ会の最後はジュースやお菓子で楽しむ茶話会の計画になっていた。由美さんは、その茶話会で、このドーナツを(今風に言うサプライズで)皆に振る舞おうと用意してきたのだ。当時の学校は、家から持ってきたものをクラスで食べることに寛容な時代であったのでダメという理由もなく、私は大変困った。由美さんの思いはとてもありがたいのだが、クラス子たちがこのドーナツを見て喜ぶとは思えなかったからだ。

「一人ずつ配られたドーナツに誰も手をつけなかったらどうしようか。」そんなことが頭をよぎりつつ、私は「ありがとね。手作りのドーナツなんてすごいね、みんな喜ぶね。」と言うのが精一杯だった。

お楽しみ会の時間は5,6時間目だった。学期末の開放感もあり、楽しいレクで教室は盛り上がった。

会が終わりに近づくにつれ、私はドーナツのことが気になり始めた。

由美さんに目をやる。笑顔いっぱいでレクを楽しんでいる。どうしようか、ドーナツを見て皆は喜ぶだろうか、と不安になってきた。『みんな!私ドーナツ作ってきたの!一人一個ずつあるからね。今配るから待っててね』と言い出すであろう由美さんの姿を想像した。「その時、みんなはどんな反応をするだろうか。楽しいお楽しみ会が、一気に静まりかえるのではないか。誰か一人でも『おいしいよ』って言ってくれるだろうか。いや、そもそも誰も手をつけないのではないか・・・」私の中でそんな心配が高まってきた。楽しい茶話会の時間に「誰も私のドーナツを食べてくれない!!」と泣き出す由美さんの姿が現実になりそうな気がしてきた。

司会の児童が言った。「プログラム5、茶話会です。みんな用意してください!」
「待ってました!」といわんばかりに、子どもたちが動き始めた。ゲームの片付けをする子、お茶を用意する子、お菓子を用意する子、ポットを運んでくる子、机や椅子を動かす子、浮かれて遊び回っている子。あちこちで子どもたちが動き、教室内がザワザワと騒がしくなった。

その時だった。

「ワー!」と声がして、子どもたちの間に輪ができた。
輪になって立ち尽くす子どもたちの目の前の床に、あのドーナツが散乱していた。乱雑に運ばれた机の引き出しから由美さんのドーナツの箱が落ちたのだ。

ぱっと駆け寄り、黙って床のドーナツを拾い集める由美さん。

周りの子たちは立ち尽くしていた。

私も一緒に床のドーナツを拾った。

その後お楽しみ会がどうなったかはあまり記憶にない。

ただ、はっきり覚えていることがある。
それは、床に散らばったドーナツを拾いながら、あの時、私の心の中に少だけほっとした気持ちがあったことだ。

「不可抗力だから・・・食べられなくなったのは仕方がない。」

教師としてあるまじき、冷たい気持ちが、あの時の私の奥底にあった。

そしてその懺悔の記憶は、今も私の頭から消えることはない。

あの時以来。

「私には教師の資格がない」

この思いを抱えながら、教師を務めてきた。

(非常識な先生 教師の資格がない 終わり)
※本文中の名前はすべて仮名です。