初めて教師の道を歩んだのは、市街地から遠く離れた農村部の小学校だった。コンビニも商店もなかった。
3月まで大学生だった自分が、4月から4年生の担任の先生となった。文字通りの新卒だった。
4年間、国立大学教育学部で学んだが、かつての教育学部は、教育実習こそするが大学の授業で実践的な演習はほとんどなく、専門的な講義ばかりであった。
23歳の青二才がいきなり最前線に立つ。学級経営も授業もうまくいくはずがない。
着任して二週間後、授業参観があった。保護者がどっと押し寄せたことを今でも記憶している。
学級会の授業だったが、なんだか分からないうちに45分は終わった。
続く5月、家庭訪問があった。4日間かけてご家庭を一軒ずつ訪問する。
人生最初の家庭訪問。親に買ってもらった中古のカローラに乗って一軒ずつ回った。
最初の訪問は、健二君だった。健二君は3人兄弟の一番上のお兄ちゃんだった。
家の前には健二君が待っていてくれた。私の到着を笑顔で迎えてくれた。とても嬉しそうだった。
「先生!お母さんがね、車はここに置いてだって」
玄関で挨拶をし座敷に案内された。床の間には花が生けられ、座卓の上座に座布団が用意されていた。
しばらくしてお母さんがお茶を運んできてくださった。
お母さんと15分ほど懇談した。
「先生お若くて溌剌としていらっしゃって。健二も先生で喜んでます。主人も今度は男の先生だと喜んでいます。」
そんな話をしたように覚えている。途中、奥の台所にいらしたおばあちゃんも出てきた。「先生、お世話になっております。ばあちゃんです。」と手をついて丁寧にご挨拶をされ、私もご挨拶した。
あっという間に時間となった。
帰る時、お母さんは私の車のところまで見送ってくださった。
その時。
「あ、そうだ。先生、ちょっと待って!」と、お母さんは小走りに家に戻って入られた。
しばらくして、お母さんが玄関から大きな物を抱えて出てこられた。
それは米袋だった。
とっさに駆け寄り手を出して受け止めた。
農家生まれの私は、米袋の重さを知っていたので、フラフラと歩いてくるお母さんを見て受け止めざるを得なかった。
ドアをバタンと閉め、お母さんが笑っておっしゃった。
「先生、こんな田舎で一人暮らし大変でしょ。ご飯ちゃんと食べてね。」
「あ、いえ受け取るわけには・・・米は親が送ってくれています」と言いかけたが、その言葉をのみ込んでしまった。
お米の重さとともに、母さんの想いご両親の思いの重さを感じた。
その後訪問したそれぞれのご家庭で、丁寧に迎えていただいた。
「玄関の花が咲いているので」と、子どもと一緒に写真を撮ったり、「おばあちゃんが先生に食べてもらうって漬けてくれたんです」とお漬物を出されたりした。今では家庭訪問もほとんどなくなり、想像もつかないエピソードだ。
昔も今も子どもを預かる教師の責任の重さは変わらない。
「日中、この時、この瞬間、大切なお子さんを親御さんから預かり、親に成り代わって子どもを教え育てている。いい加減なことはできない。」心から思えるようになったのは、あのお米を受け取ってからまだ少し後のことである。
※当時、全国の学校で家庭訪問は当たり前に行われており、漁村、農村山村地域で「先生これどうぞ」と、魚介類や野菜や山菜等をいただくことがありましたが、十分留意しなければなりません。保護者から物品を受け取ることは、利害関係者からの便宜供与にあたり処罰の対象です。40年以上前のこのエピソードも贈収賄にあたる可能性があります。
(先生の重み 終)
※本文中の名前はすべて仮名です。