隣のクラスに若い女性のK先生がいらっしゃった。
小柄で華奢、人前ではやや控えめに見える先生だった。
学年主任に教わりながら学級経営や授業作りにも励んでいた。

その日は給食の後、全校が体育館に集まり、学校長の講話を聞く日だった。
私は、自分のクラスとK先生の子どもたちに、体育館への入場を指示し、2クラスを率いて体育館に入った。
決められた場所に整列させひとまず座らせた。
K先生は、職員室で来客対応があったらしく、遅れて体育館に入ってこられた。私に一言「ありがとうございます」というと、自分のクラスの列の横に付かれた。
全校が揃ったところで、教務主任の指示があった。
「全校のみなさん立ちましょう」
今も昔も学校長の講話というものは、子どもたちにとっては長くつまらなく感じるものだ。
この日も同じだった。

話が長くなるにつれ、K先生のクラス列がふらふらし始めた。話を聞いていない様子だった。
ある男の子はうつむいて足下で靴をいじりゴソゴソしていた。
K先生がその子にそっと近づいた。
「注意するのだろう」と思って見ていたところ、K先生は黙って、その男の子の背中、真後ろに立った。
そして、男の子の靴を「コンコン」とつま先で蹴った。(間違いのないように書くが、蹴ったのは、K先生だ。)
おそらく「ふらふらとするな」と言う意味だったのだろう。

私は、小さいことから足で何かをすると、親や祖父母からきつく叱られた。例えば、足で障子を開けたり、足で座布団を動かしたりすることは厳しく注意された。理由は言われなかったが、手でできることを面倒がって足ですることは行儀が悪いこと教えられていたのかもしれない。あの時代なら、どの家どの親でもそういうことは教えていたと思う。
いみじくも「先生」と言われる人が、物は元より人様の子に対して足を出すとは信じがたかった。

職員室に戻った。
優柔不断な私だが、その時ばかりはきっぱりと伝えた。
「先生、足で注意するの良くないじゃないの。」
K先生は「すみません。」と、薄く笑いながら返事をしたが、私はもう一度繰り返した。
「足で注意するのはよくないよ。」
普段の私からいつもと違う空気を感じたのか、K先生は急に真顔になって
「すみません、足はちょとよくなかったですね。」と言った。
『ちょっとか』と、さらに怒りがこみ上げたが飲み込んだ。

K先生は、「足はよくない」ことを知っていたのだ。
知っていた上で、K先生はそっと近づいて「コンコン」とやったのだ。
冷静さを欠く場面ではなかったから、「思わず」でもない。
私はこれまでK先生のことを「控えめな先生」と思って見ていたが、その一件から、すっかり見る目が変わってしまった。控えめに見え熱心にも見えたが、内実はそのような方なのだと思った。
物はもちろん人様を足で扱うような先生、(しかもそれがいけない事と分かっていて)足を出すような先生に、物を教え道を説く資格などないと思っている。
まさかK先生は「子どもだからいいか」とでも思ったのだろうか。
教師の資格とは何だろうか。