子どもは学校での出来事をいろいろ話す。
友達と遊んだ話、給食の話、ケンカをした話、ドッジボールの話、友達の笑い話、今度の遠足の話。
家庭に帰り、子どもの話を聞くことは親としても楽しみである。
先生の話も出てくる。
おもしろい話、誉められた話、時には叱られた話もする。
我が子が先生に信頼を寄せながら学んでいる様子に親として安心する。
そんな中、担任の先生の話題に「おや」と思う時がある。一度はスルーするが、二度、三度と聞くようになる。
先生の顔を思い浮かべ、心に小さな疑念が湧いてくる。
「・・・まさか」
「そういえば最近、子どもの表情が心なしか暗く感じられるのは気のせいだろうか」
小さな疑念はやがて心の中で黒く大きくなっていく。
「先生、それは非常識なんじゃないの?」小さかった疑念は心の中で徐々に膨らんでいく。
子どもの話す一つ一つに、担任の顔が浮かんでくる。
「私の感覚はおかしいのだろうか。いやそんなはずはない。先生に聞いてみようかしら」
「こんなことで先生に電話したらクレーマーと思われるかな」そんな悩みや不安を抱える保護者は多い。
一方、学校の先生もまた不安の中で仕事をしている。
私は現職の頃、放課後の誰もいなくなった教室で机を見ながら思い返すことがしばしばあった。
「今日はクラス全体にこんな指導した。子どもは笑顔で帰ったようだが、うまく伝わっただろうか。精一杯指導したが保護者からクレームが来るのではないだろうか・・・」
夕方職員室の電話が鳴る。
「清水先生、~君のお母さんからお電話です」
ドキドキしながら電話に出る。
「先生、うちの子忘れ物しちゃって。今から取りに行ってもいいですか」
ほっと胸をなでおろす。
学校と家庭は、子どもの将来のために共に同じ方向を向いて進まなければならない。親と担任は子どものために教育をしているのだ。しかし残念なことに、このような場面がしばしば生じている。
親が担任を信頼しなければ、子どもが担任についていくはずがない。
担任が親を信頼しなければ、親から子どもを預かり、我が子のように教え育むことなどできない。
2024年の年間出生数は70万人を割れ、東京都の教員採用試験の志願倍率は1.7倍となった。
このブログで、親となり子を産み育てることの幸せ、先生となり教育に携わることの魅力を、41年間学校現場で学んだ経験から伝えていければと思う。