「クレーマーと思われないかしら」
学校に電話をしようかと悩む保護者は多いと思う。
結論から書けば、「分からなければ電話で確かめることをおすすめする。」ということだ。
ここで気をつけたいことがある。
それは「子どもの話を100%鵜呑みにしないこと」だ。
子どもは言葉が未熟故に断片的にしか話せない。しかも(これは当然だが)自分の側からしか話さないし、自分の都合でしか話さない。
もう少し正確に言えば「自分の都合でしか話さない」のではなく「自分の都合でしか話せない」のだ。
成長の途上にある子どもは、相手の側に立って考えたり、自分を俯瞰的に見ようとする意識がまだまだ育っていない。
あくまでも自分主体であり、子どもはそういうものなのだ。
もっと言えば「自分の都合のいいように話す」のが子どもなのである。
これに気をつけないと、親として頭に血が上ってしまうことになる。
頭に血が上った状態になると、どんな人間でも冷静な思考はできないものだ。

あるベテラン先生の話が思い浮かんでくる。
若い頃に出会ったその先生は、年度当初の学年保護者会で一〇〇人を超える保護者を前に「おばあちゃんの言うことだと思って聞いてね。」と前置きし、こんな挨拶をした。

「お母さんたちね、カッとなって学校に電話する前に、一度深呼吸するのよ。先生はどうしてそうしたのか考えるの。」「あのね、先生たちって大概みんないい人ですよ。長時間勤務でも子どものために頑張っている。ここにいる学年の担任5人もみんないい人。見てよ、若くてカッコイイお兄さん先生、笑顔が素敵なママさん先生、めがねが優しいお父さん先生、そして私みたいに人生知ってるおばあちゃん。みんないい人。そりゃあ個性はあるよ。先生も人間だから。色もあれば匂いもある。だからお母さんたちと考えが違って『おかしいな』って思うこともあるかもしれない。でもね、私たちも親御さんから大事な子どもを預かる以上、いい加減な教育はできないし、大事に、真剣に教育させていただいている。だからね、頭に血が上って電話する前に、一度深呼吸するのよ。そして考えるの。「先生はどうしてそうしたのかな」って。それでもわからないことは、どうぞ電話してきて。たくさん話しましょう。」

冒頭に「電話で確かめるとよい」と書いた。
ノートやメールの学校もあるだろうが、書き言葉はよほど気を配らないと相手に誤解されることが多い。
例えば「お休みします」の一文も、受け取る先生は気になるものだ。
単なるかぜならよいが、不登校の前兆か。友達関係で何かあったのか、いじめではないか。授業がつまらないのか、勉強がわからないのか。
文字だけ読んで様々に想像し心配してしまう。
書き言葉はニュアンスが伝わりにくく、真意が伝わらないのだ。
声の方が断然よい。
「授業で忙しいのに電話していいのかな」と思うだろうが、遠慮は無用である。
伝言で「放課後でもかまいませんので折り返しいただけないでしょうか、お忙しい中恐縮です、とお伝えください」とお願いすればよい。
学校からは年度当初に「時程表」が配られている所もあるだろう。
中休み、昼休み、下校後、先生が授業でない時間をみはからって電話をしてみてはいかがだろうか。
決して遠慮は無用である。
分からないことは、小さなうちに聞くにかぎる。
積もり積もって怒りとなり大爆発すれば、親も先生もお互いにいいことはない。